…何か久保先生にえらく失礼なタイトルになったような(;^ω^)
いや、鬼道の詠唱とか斬魄刀の解号とか久保先生ってポエミーでオサレな印象が強いんですけど、そんな個人のセンスばかりに頼った描写だけでなく実はしっかり計算した上で決めシーンを演出しているという一面もあったんですね。
その例がこちら。
片方はバトルシーンにおけるカメラワーク。もう片方は、主人公の感情を強調するためのコマの使い方。
普通に読んでいる時は全く気づかないで流している場面だと思いますが、つぶさに見てみると実はしっかり意味のあるコマ割りになっているんですね。
説明されている内容がいちいち頷けてしまうのがニクイ。
もう1つ。
ここでは印象づけたいシーンへ向かって、いかにそこへのタメを作るかということが意識されたコマ割りになっているんですね。上の画像の左側と同じような意味合いを持つものですが、こちらのほうがよりはっきりとそうした意図がわかるように作られています。
ここで使われているのは、どちらも「あえて全景を見せずに一部ばかり描くことで助走とし、ページをめくった大ゴマや見開きで全体を見せる」というもの。 言ってみれば同じ手法なんですが、こうして並べて示されても別にくどさはないですね。それどころか普通に取り入れていい演出方法という感じです。
魅せたいシーンへ向かって逆算したコマ割りを行うこと。
ただキャラたちのオサレな姿ばかりを見せようとしているように見えるオサレ先生も、実はそれをしっかり計算した構成の上で行っていたという例です。
…もしも、こうした構成を全く意識することなく、素でやってるんだとしたらホントに末恐ろしいセンスの持ち主だと思います(;^ω^)
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